第三回 和歌の浦題詠 総評
第三回も多数のご応募をいただき盛況の内に締切を迎えました。
今回の「和歌の浦題詠」部門では、例年よりも「和歌の浦」という言葉を使わずに
和歌の浦を詠むことにチャレンジしてくださった作品も多かったように感じます。
日本遺産に指定されたこともあり、実際に当地を訪れた方もいらっしゃるでしょうし想像の翼を広げて詠んでくださった方も居られると思います。
「和歌の浦」の縛りは気にせず、万葉人のあこがれの地に思いをはせて
より多くの短歌を詠んでいただければ幸いです。
和歌の浦短歌賞への応募をきっかけに、短歌をつくる楽しさを感じてください。
7月から始まる第四回の短歌賞へのご応募を、楽しみにお待ちしております。
和歌の浦短歌賞は10首まで投稿可能ですので、10首のなかから良い歌が審査員の先生の目に留まるため受賞確率もあがります。
あきらめずに応募してくだされば、入賞も夢ではありませんので、第四回の短歌賞にも、ぜひご応募してみてください。
一般社団法人紀州文芸家振興協会「和歌の浦短歌賞」実行委員
― 川上森(静岡県)
■海の上を鳥が群れ飛ぶ美しい情景が独特の表現で広がる。その上で、その景色の中に、「わたし」も一体化していく様子が体感と共に新鮮に伝わってくる。韻律もすやわらかな波のようにおだやかで心地よい。
(東直子審査員選評)
■綾に織り込まれて行くわたしというファンタジックな発想が絶妙です。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 安藤純代(千葉県)
■「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」と万葉集に読んだ赤人。「はだし」や「上総なまり」という、具体が入ることによって、長い時を超えて生き生きとその存在感が立ち上がってくる。
(東直子審査員選評)
■上総なまりの赤人という想像力が小気味よいです。そうだったかもしれません。
(藤原龍一郎審査員選評)
■行けば(ゆけば)上総なまり(かずさなまり)と読んでください。
(紀州文芸事務局注)
― 涼野海音(香川県)
■まず、韻律が美しい。木は「言葉」を抱き、風は「ことば」を飛ばすのだろうか。使い分けられた漢字と仮名の「コトバ」によって思索の旅に出るような気持ちになる。
(江戸雪審査員選評)
― 大和嘉章(神奈川県)
■和歌山県海南市にある藤白で処刑された有間皇子を偲ぶ歌。「わかしらす」に若くして亡くなった皇子の面影を感じたのだろう。和歌の浦を舞台にしたエピソードと風物を「白」を共通点として生かしている。
(東直子審査員選評)
■藤白坂に19歳という若さで亡くなった有間皇子。「ワカシラス」が、食感や色とともに皇子の夭折とどこかで繋がってゆき、時空をこえた寂しさがある。
(江戸雪審査員選評)
― 小川ちとせ(大阪府)
■ラジカセから流れる音楽だけの夏、そこに恋の物語は当然あるでしょう。
(藤原龍一郎審査員選評)
■「泣けるほどラジカセだったね」は底知れない省略の力がある。四句目は6音なのだが、そのたどたどしさも若さを引き出している。結句もいい。
(江戸雪審査員選評)
― 海月(福岡県)
■最後の息吹というとらえ方がスケールを感じさせて、心地よい。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 永山守東(和歌山県)
■結句の「春の徒然」が言い得て妙。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 山縣昭一(茨木県)
■シースルーを着た少女へのフォーカスが妙味。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 小藤和子(岡山県)
■「行こら」という南紀の独特の言い回しを用いて、学生時代の友人との軽やかさで楽しいやりとり生き生きとく伝わってくる。その上で、その友の消息が分からないということへの切なさが対照的に伝わり、切ない。
(東直子審査員選評)
― 堀内小百合(茨木県)
■「薄紅の小鳥になりたき」は少し唐突すぎるナルシシズムなのだが、下の句の面白さに惹かれた。観音像の手さえも作者の夢につながっていくのだ。
(東直子審査員選評)
― 久保澄子(栃木県)
■イタリアのアマルフィと和歌浦を対比した面白さ。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 大江美典(兵庫県)
■ノスタルジーとスキップの取合せが効果的。旧仮名遣いも雰囲気を出しています。
(藤原龍一郎審査員選評)
― 入船真由(大阪府)
■しがらみが和歌の浦に溶けるというダイナミックな発想の妙。
(藤原龍一郎審査員選評)