第七回和歌の浦短歌賞にたくさんのご応募をいただきありがとうございました。
今回もコロナ禍による影響か、受賞にあたっての確認に思いのほか時間を費やし発表が遅れましたことをお詫び申し上げます。
未だ制約の中に暮らす日常から紡ぎ出された短歌には、人との距離感をさまざまに描いたものが多かったように思いました。気配、やさしさ、あたたかさ、透きとおるような空気感を感じながら、一つ一つの応募作品を読ませていただきました。
第八回和歌の浦短歌賞にも、いろいろな想いを短歌に込めてご応募をいただけると幸いです。
一般社団法人紀州文芸振興協会 理事長 松原 文
― 山下眞美(茨城県)
■二句目以降の一息の呼吸の勢いの良さを買う。青い翼が眼前に浮かんでくる。
(藤原龍一郎審査員 選評)
■和歌山湾。とおくに四国や淡路島が見え、そして広がる太平洋。その「青」の眩しさをみごとに詠いきっておられ、読み終わったあとの開放感とすこしの寂しさがいつまでも心に残る作品でした。海の青を筆にとるという、想像と現実のいりまじった場面設定。さらに「翼」を描くキャンバスは空でしょうか。心のなかで空と海が混じり合ってゆく感覚を覚えました。
(江戸雪審査員 選評)
― 伊藤一男(埼玉県)
■自分が通っていた母校が閉校になることを知った。卒業して長い年月が過ぎ、学校生活はとても遠いものとなり、実感はうすいが、なんともいえない淋しさを感じたのだろう。その感慨を澄み渡る故郷の春の海のイメージにつなげ、その事実をやわらかく受け入れようとする清々しさがある。故郷の母校となつかしい海をつなぎあせた、静かな祈りのような一首に感銘を受けた。
(東直子審査員 選評)
― 加藤三知乎(福岡県)
■「立ち泳ぎしながら」という設定が絶妙。下の句の比喩はさして斬新なものではないが、
上の句で歌にリアリティが獲得されている。絵が浮かんでくる一首だ。
(藤原龍一郎審査員 選評)
― 千代田環(和歌山県)
■「春風になる」という発想がほほえましい。そして、風になった後、「鹽竈神社の絵馬を揺らそう」という下の句。嫌味のない想像力に共感する。
(藤原龍一郎審査員 選評)
― 西鎮(山形県)
■文語を生かし、優雅な韻律の中に、漁をする「父」の真剣な眼差しを疾走感と共に生き生きと活写している。
そこから父親に対する畏敬の念も伝わってきて、親子の物語も広がっていく。
「波の底を見きわめ」ることができるというその眼差し、痺れます。
(東直子審査員 選評)
― 草波ことり(東京都)
■ひらがなの多用とリフレインの活用により、やわらかな感触とリズムが生まれ、歌全体が打ち寄せる波のようである。
「いにしへ」から変わらずそこにあった海の雄大さと神秘に身体の一部を浸らせて、独自の思索を深めている。悠久の時がつながってることを、サンダルという現代的な履き物とともにある実感として捉え、抒情が広がる。
(東直子審査員 選評)
― 風間勝治(愛知県)
■不老橋の神話を踏まえて、格調高い一首に仕上がっている。
「神話が薫る波打際に」という下の句が一首の芯となっている。
(藤原龍一郎審査員 選評)
― 遠藤玲奈(東京都)
■待ちに待った梅雨明け。明朝は早起きして久しぶりの釣りに行くと張り切っておられます。
上の句に登場する魚の生命力を共有する喜びが、一首に溢れています。
固有名詞がうまくきいていて、いいですね。
(江戸雪審査員 選評)
― 大和嘉章(神奈川県)
■無縁仏の墓に、いつか誰かが備えた造花が色あせたまま放置してある。
誰にも省みられないことを象徴するような状態だが、そばに生えている白蓮の花が咲きそろい、人間の代わりに弔いの念を送っているようである。墓の主と、造花を供えた人を思うと、物語も広がっていく。
(東直子審査員 選評)
― 船岡房公(滋賀県)
■砂浜から、そして自分から去る君。「砂払ひ」が君の様子をうまく伝えています。残されて一人になり眺めている海には賑やかに「磯鵯」が鳴いています。
追いかけてゆけない自分の代わりになってくれないかと願っているようです。
(江戸雪審査員 選評)
― 久保哲也(大阪府)
■砂防林を擬人化した想像力がユニーク。ビーチボールは見つけられてしまうのだろうか。
「浮足立っている」という措辞がユーモラスで楽しい。
(藤原龍一郎審査員 選評)
― ヤンクマークパパ(兵庫県)
■紀三井寺にある「結縁坂」。桜の名所でもある寺の階段をのぼると遥か遠くに「和歌の浦」が見えます。
「桜の奥に」が情景をうまく捉えています。
この五層からなる急な階段は二三一段あり、「息切らし」の体感には説得力もありますね。
(江戸雪審査員 選評)