第四回は約1,100首のご応募をいただきました。
今回の大賞は「和歌の浦部門」から選定されました。万葉人のあこがれの地に思いをはせて詠んでいただいてもいいのですが、和歌の浦部門から選定されるという決まりではございませんので、「和歌の浦」の縛りは気にせず、より多くの短歌を詠んでいただければ幸いです。
今回から優秀賞を廃止し、審査員奨励賞を設定しています。各審査員の先生がきらりと光る個性を見つけていただいたと感じております。
和歌の浦短歌賞への応募をきっかけに、短歌をつくる楽しさを感じてください。第五回の短歌賞へのご応募を、楽しみにお待ちしております。
一般社団法人紀州文芸家振興協会「和歌の浦短歌賞」実行委員
-東風 めかり(大阪府)
■人の気配のない水際に魚が跳ねている景色にはみやびがある。
(藤原龍一郎審査員選評)
■「片男波」は高い波のことだが、文字の意味から一人きりの男、というイメージを重ね合わせているのだろう。高い波の立つこの淋しい場所で、一緒に遊んでくれる人もなく、たった一人で遊んでいる自分を魚が跳ねてなぐさめてくれたように思った。和歌的な韻律の気持ちよさ、美しさと共に、かすかな諧謔味があり、風景の鮮やかさとともに心理の深みも感じ取れる。
(東直子審査員選評)
■冬の海の冷たさ。魚がときおり海面を破って空中を跳ねる。それを見ていると、人がいない寂しい冬の海岸線をなぐさめているように見えた。どこか心象風景のようにも読めて印象に残った。
(江戸雪審査員選評)
-森本 美和(和歌山県)
■まず、初句から二句目のフレーズに惹かれた。私たちは皆、旅人のように存在していると思えば出会いも別れもすべて自然なことのように思えて生きることが楽になるような気がする。そして春の眩しい空を見上げると、のんびりと雲。あのように居たいと願い、目を閉じる。羽根が生えたような気持ちになる。
(江戸雪審査員選評)
-原 ひろし(大分県)
■下の句がとてもいい。鳥のこのように飛びたつ風景を何度見てきたことか。それを言葉にすることはなかったけれど、こうしてこの歌を読んで干潟に立っているような気持ちになった。
(江戸雪審査員選評)
-さおちゃん(和歌山県)
■父親との思い出に、ラーメンの熱さと美味しさがリアリティを添えています。
(藤原龍一郎審査員選評)
-近藤 尚文(福岡県)
■上の句が不思議な歌。当たり前のことを言っているのだが、あらためて言葉にされると名前を持つことの意味や嬉しさや有り難さをおもう。お互いの名前をたずさえて、和歌の浦の汐風にまみれに行こう。そして海に二人だけの名前をつけよう。
(江戸雪審査員選評)
-野中 美亨(茨木県)
■石段を登りきるという苦行の後のまっさらな心、そこに強い実感がある。
(藤原龍一郎審査員選評)
-雨虎 俊寛(大阪府)
■「片男波」が、自分にとってとても思い入れのある大事な場所なのだろう。かつてとても好きになった人を連れてきたが、その恋が終わってしまったことで上の句のように思っていた。しかしさらに好きな人が現れた、ということだろう。言葉の意味もあいまって、とてもドラマチック。
(東直子審査員選評)
-三鷹亮(大阪府)
■「冷たき風」という体感を加えることによって、鳶の身体で和歌の浦の壮大な景色を見ているかのような心地になれる。さらに下の句で鳶の動きを俯瞰して描かれてるので、動画としての魅力が存分に伝わる。「滑翔」という語のイメージと響きの美しさがよく生かされた。
(東直子審査員選評)
-五宝 久充(大阪府)
■舟がタイムマシンになる発想のユニークさ。歌枕の地ならではの歌。
(藤原龍一郎審査員選評)
-太田 堯子(大阪府)
■夕日に赤い帆というポピュラーを連想した。夕日に向かうよっとの美しさ。
(藤原龍一郎審査員選評)
-多紀夫(兵庫県)
■写真を添付したメールを送信したのだろう。「ひとつ言葉を」と画像ではなく言葉を主体にして成功した。
(藤原龍一郎審査員選評)
-鈴木 良子(CA.USA)
■冬のつめたい波の立つ厳しい海を眺めながら、水先案内の仕事をしていた叔父さんのことを思い出しているのだろう。大型船は番所の鼻のように、いぶかしげに入ってきていたなあ、などと。
(東直子審査員選評)